今日は、換気の為に明け放していた入り口のドアから、またまたかわいいお客さんが入ってきた。

ツバメちゃん。私としては、ツバメが巣とかつくってくれたらちょっとテンション上がるのだけれど、

さすがに室内玄関ホールに作られるのは困るぞ。

そしてドアから入って来るもの、という事で、、、今日のタイトル。

 

よく何かするとき、良い自分と、悪い自分の葛藤を天使と悪魔のささやきに例える漫画やアニメ、ドラマなんかがありますよね。

天使:「だめよ!そんな事しちゃだめ!」

悪魔:「いいじゃん別に。なーんにも問題ないよ!」

 

これを、聖書的にすると、こうなります

罪:「戸口で君を待ち伏せしてみるわ。私はあなたを恋い慕ってます♡」 創世記4章7節

イエス様:「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。わたしの声を聞いて戸を開けるなら、私と食事をする(親しい)関係になるよ。」黙示録3章20節

 

 

何が恐いって、罪は声を発さないことですよ。知らぬ間に待ち伏せしているんです。ひええってなりますね。

捕まったら最後、治めることは至難の業でしょうね。治めるどころか支配されちゃいそう。

そしてイエス様は共に食事をする関係になるのだけど、罪はたぶんここぞという時になると、

「え、私のせいじゃないじゃん、自分でやったんじゃん」って手のひら返す感じになるんだろうな。

同じ「戸」の外にある二択。

聖書の最初の書である創世記と、最後の書である黙示録にこういう対極な表現が出てくるの、凄く興味深い。

イエス様は日々語り掛けてくるお方!(みことばを通して、良心を通して)。

私たちの人生は日々選択の連続です。

その中で、天使と悪魔が会話している状態ならまだいいほう。

でもすでに天使の声をシャットダウンしている人もいるし、この世には、ばれなきゃなにしてもOK、他の人もやってるからOKみたいな風潮もある。

一番厄介なのは、これこそが正しい!と自分判断している事。

 

聖書を読んで、イエス様の声に耳を傾けてみませんか?